実は芸術作品としてではなく、ピアノの練習曲(エチュード)として作曲されたこの曲は、立ち位置としてはピアニスト御用達の「ハノン」や「バイエル」、「ツェルニー」などと同じです。練習曲がここまで一般の音楽鑑賞の楽曲として伝え広まっているということから、ショパンの偉大さがわかるような作品です。
「別れの曲」という邦題がつけられたのは、1934年にドイツで作曲された映画に起因しています。この映画は若き日のショパンを描いた伝記映画であり、邦題が「別れの曲」であったことから、これがそのまま曲の愛称として広まったのです。