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Mait181

曾つて彼は (大平 泰志) / ゴスペル 中級

楽譜ID : 144970
39
中級
全54ページ
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曾つて彼は

曾つて彼は
五月の山谷の残雪の下から出た   
一本の真紅の独活であった
その日彼は春霞む山々を見ながら
自らが神であることを知つた

曾つて彼は
ねむの花かげの
小さい渓流の中の
子供の小指ほどの
一尾の小魚であつた
その時彼はさざめきながれる夏川水の清らかさの中で
美しい夏山を神と見た

彼は曾つて
村の小川の一尾の鮒であつた
その流れにうつる のうばらの白い花かげに
ひそかなるおもひをよせた

彼は曾つて 秋の山路の一株の 紅玉にうるる秋ぐみであつた
山の子等が
かちどきをあげては彼にとリつき
その甘い実を舌にのせるとき
彼は自分が母たる大地であることを知った

彼は曾つて
一つの栗のいがであつた
そのつややかな褐色の三つ栗を笑みわらせ
流れる朝霧の中で
山がらの声を美しくきいた

彼は曾つて
春霞すむ中国山脈の一つの峯であつた
北には はるかに日本海が その春霞に煙つて見えた
彼はその目本海を自分の恋人と思つた

彼は曾つて
洋々と流れる大河であつた
白帆をうかべ
魚竈をすませ
彼は自らが一つの文化の大動脈であることを知った

彼は又曾つて 一つの岩石であつた
千年ぢつと人知れぬ山中に
夏は蝉の声をしみいらせて
みどりの松林としづかに対話し
秋は色づいた山葡葡の葉に 自らをかくした

彼は又曾つて
一尾の蛇であつた
幾度か自らの皮を脱ぎ
新しい自然と和した

彼は又曾て 鷲さへ来ぬ深山の老松であつた
彼がそのみどりの節を失はないことを知つてゐるのは唯白雲だけであつた
然し彼自らは その節よりも
その初夏の花粉の日をひとりたのしんでゐた

彼は又曾つて 一匹の狼であつた
群することを忘れた彼は
若き日の牙もぬけ
狐や狸に馬鹿にされながら 洞窟の中でさびしく餓死した

彼は又曾つて 一匹の山椒魚であつた
彼は山深い沼にひとり住んでゐたが
その沼に十五日毎にうつる 満月の夜の月を愛し
その虚しいなげきをくりかへした

彼は曾つて又 一羽の鶴でもあった
明月の夜
山河湖海を下に見て
自分のふるさとへかえつた
彼のふるさとは月であつた

彼はついに何であつたらうか
彼は最後に人間の体をして生れたが
平凡にろくろくとして老い朽ち
その子らが彼を火葬にしたとき
一片の白骨すらとどめず
青いけむりだけが天にのぼつた
それは子供の時 彼が手製の竹の小串にさして焼いた川魚の
あの青いけむりそのままだつた


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