日本を代表する歌姫・中島みゆき。彼女はデビュー当時から桁違いの才能と存在感を示していました。
1975年、ヤマハのポピュラー音楽コンテストでグランプリを受賞。2作目のシングルとしてキャニオン・レコードからリリース(売上約20万枚)。オリジナル編曲は、船山基紀が担当しました。
その後も別バージョンが作られ続け、薬師丸ひろ子、徳永英明など多くの歌手によってもカバーされています。 この曲は「日本の歌百選」に選ばれました。