原曲キー
Eb譜(アルトサックス、バリトンサックスなど用)
メロディ譜
コード付き
「雨のリグレット」(チャート65位)でデビューした稲垣だったが、2作目「246:3AM」はチャートインしなかったため、レコード会社はヒットメーカーの筒美京平に作曲のオファーをする。
筒美は稲垣がデビューした時に、所属事務所から作曲の依頼を受けていたが断っていた。
今回、再度のオファーを受諾し、メロディーを完成させる。
高校在学中に放送作家の仕事を始めた秋元康は、やがてその仕事に物足りなさを感じ、1981年10月、23歳のときにAlfee(現・THE ALFEE)のシングルB面曲「言葉にしたくない天気」で、作詞家としての活動を開始する。
しかししばらくは作詞の仕事も少なく、ヒット曲もない状態だった。
筒美の曲ができあがった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書くコンペを行う。
協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する。
稲垣の声質を活かしたミディアムテンポのAORナンバーに仕上がった本作は、チャート最高位8位、半年にわたりチャートインするヒットとなり、稲垣にとって、また秋元にとっても初のヒット曲となる。
なお秋元は本作のヒットで手にした作詞印税でBMWを購入し、「ドラマティック・レイン号」と名付けて乗っていた、というエピソードも残されている。
このヒットにかけていた東芝EMIのディレクター重実博は(この曲がヒットしなかったらやめようと思っていた)、湯川れい子にも作詞依頼していたが、湯川が仕上げた作品にOKが出ず再考している間に、秋元康に決まった。
また、アレンジも別アレンジのものができあがっていたが、「あれ?ちょっと違うね?」となり、重実が上司に「もう1回やらせてください」と頼み込み、結果船山基紀のアレンジに決まった。