昭和29年(1954年)9月、テイチクレコードから発売された菊池章子のレコード「岸壁の母」が大流行(100万枚以上)した。
作詞した藤田まさとは、この歌のモデルとなった端野いせのインタビューを聞いているうちに身につまされ、母親の愛の執念への感動と、戦争へのいいようのない憤りを感じてすぐにペンを取り、高まる激情を抑えつつ詞を書き上げたということです。歌詞を読んだ平川浪竜(ひらかわ・なみりゅう)は、これが単なるお涙頂戴式の母ものでないと確信し、徹夜で作曲、翌日持参した。さっそく視聴室でピアノを演奏し、重役・文芸部長・藤田まさとに聴いてもらった。聴いてもらったはいいが、何も返事がなかった。3人は感動に涙していたのでした。そして、これはいけると確信を得、早速レコード作りへ動き出したのだといいます。