1819年に作曲された、ウェーバーが妻カロリーネに捧げた作品です。妻にこの曲を捧げたとき、ウェーバーは小節ごとにその意味を説明しながらピアノで弾いて聞かせたと伝えられています。
「ピアノ・フォルテのための華麗なロンド」と銘打たれてますが、ウィンナ・ワルツの雛形となった作品です。この作品によってウェーバーは「ウィンナ・ワルツの祖」と呼ばれることもあります。
しかし、割と早く、38歳で結核で亡くなっているそうです。若くから、片足が不自由だったり、長じて、何かを誤飲して、のどをやられたり、結構不運が続いていたようです。ロマン派初期の人ということで、のちに続く人に影響は与えました。