松平晃の歌った「上海航路」とのカップリングで1938年(昭和13年)12月に発売された。当初は全く売れなかったが、半年ぐらい経った頃から売れ出し、1年後には戦線の将兵の間でも大流行した。その2年後、1940年(昭和15年)には李香蘭・長谷川一夫の主演で映画化(『支那の夜』)された。これによりこの歌は全国区となった。
山本五十六はこの歌が好きで、聯合艦隊旗艦の長門では、軍楽隊によって演奏されたこともある。
また、それと前後し、ベトナム、ビルマ、インドネシア、台湾でも大流行ということになった。戦後も各地でリバイバルとして流行る。