チャイコフスキーのピアノ協奏曲の中でも、とりわけ有名なのがこの第1番。作曲時、モスクワ音楽院の院長だったルービンシュタインへ献呈予定でしたが、「書き直すなら初演を行なおう」と揶揄されたため、ドイツの指揮者で名ピアニストのハンス・フォン・ビューローに献呈。1875年、ボストンでの初演で大成功を収めました。