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アルトサックスで昭和歌謡シリーズ 石川さゆり『津軽海峡・冬景色』 (三木 たかし) / 初〜中級

楽譜ID : 121076
107
初〜中級
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「津軽海峡・冬景色」(つがるかいきょう・ふゆげしき)は、東京を発って本州最北端の青森県にたどり着き、津軽海峡をこえて北海道に渡る人々を描いた阿久悠作詞の叙事詩に、三木たかしが作曲・編曲(新録音版の編曲は今泉敏郎)して生まれた歌謡曲。これを演歌歌手の石川さゆりが歌いました。

 この楽曲は石川15作目のシングルとして、1977年(昭和52年)1月1日に日本コロムビアより発売されます。当曲の大ヒットにより、石川は同年末の第19回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回FNS歌謡祭グランプリ・最優秀歌唱賞などの音楽賞を獲得しました。

 ニクソン・ショック(1971年)と第一次オイルショック(1973年)とによって、日本の高度経済成長期が終焉を迎えますが、その末期に1972年札幌オリンピックがあり、これに合わせて東京都と札幌市との間の移動は、従前の国鉄(日本国有鉄道)と青函連絡船の乗り継ぎから、飛行機の時代に次第に移行していきます。

 1970年代中盤になるとジャンボジェット機(ボーイング747)の運航が広まり、1975年(昭和50年)には新千歳空港(1988年開港)が起工され、両都市間、あるいは本州と北海道との間の移動の障壁の象徴である津軽海峡は次第に存在感を失っていくことになります。

 この曲は当時、東京都にとって北日本(や北陸地方)への玄関口であった上野駅から夜行列車に乗り、雪が降る青森県・青森駅で降りて、黙ったままボーディング・ブリッジを渡って本州から津軽海峡を隔てた北海道・函館駅に向かう青函連絡船へと乗り継いで行く人々の描写があります。すなわち、北海道に縁がある人々の移動を表現したものです。

 発売当時、首都圏と北海道との間の交通手段は(旅客機やフェリーの他に)、青函連絡船を介した日本国有鉄道の列車がありました。この頃は東北本線経由の「はくつる」、常磐線経由「ゆうづる」などの夜行列車があり、青函連絡船への接続を前提に多数運転されていました。歌詞は竜飛崎の回想までで、青函連絡船上の津軽海峡で北海道に帰る女性の心情を吐露させて終わっています。

 この曲は三木たかしが作曲だけでなく、編曲も手掛けています。「イメージの中の“荒波”がどこかにあったので、イントロから作りだした」と、NHKスペシャル「三木たかし~時代を彩った作曲家~」(2009年放送)で語っています。


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