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黛敏郎:ピアノのための12の前奏曲 (黛 敏郎) / ピアノソロ 上級

楽譜ID : 57532
132
上級
全44ページ
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I. Marche (行進曲)
II. Arabesque (アラベスク)
III. Barcarole (舟歌)
IV. Toccata (トッカータ)
V. Fantasie (幻想曲)
VI. Pastorale (パストラール)
VII. Intermezzo (間奏曲)
VIII. Sarabande (サラバンド)
IX. Berceuse (子守歌)
X. Nocturne (夜想曲)
XI. Sérénade (セレナード)
XII. Élégie (エレジー)

黛敏郎のピアノ曲は、10代から30代にかけて作曲された。中学を卒業して、東京音楽学校へ入学した1945年4月から書き始められ、多彩な楽想がきらめく《前奏曲》。戦後の混乱のなか、米軍キャンプでジャズピアノを弾いていた若き天才の爆発がドラムス伴奏とピアノという編成で昇華された《オール・デウーヴル》。当初はバレエ音楽のスケッチとして1950年頃に作曲された《金の枝の踊り》。1965年に、半年近くローマに滞在して作曲と録音を繰り返しながら書いた映画《天地創造》のピアノリダクションによる組曲まで約20年間に創作されている。この20年は、黛の創作人生のなかでも特に急速な変遷と成長を重ねた時期である。それら作品と対照して聴くこともできよう。

黛は1929年横浜生まれ。父は山下汽船の船長として様々な海外の話題を敏郎少年に持ってきてくれた。そのような環境から自然と音楽へ興味を持ち作曲へ手を染めた。小学校ではモーツァルト風、中学校ではドビュッシー風のピアノ曲を書いていたという。東京音楽学校に入学すると、橋本國彦に作曲を師事するが、橋本門下の先輩は團伊玖磨、芥川也寸志、そして同級生に矢代秋雄がいた。天才ひしめく東京音楽学校で室内オーケストラ曲なども書きつつ仕上げたのが《前奏曲》(1945)である。この頃の黛は、元旦にも学校へ通ってピアノを弾いていたほど熱心に勉強していたという。

黛自身によるノートでは、前奏曲は「十二曲だけで纏めて第一巻とする、(第二巻は来年頃着手)」とされているが、実際には12曲しか書かれなかった。第1曲は1945年4月の作曲となっているが、これは東京音楽学校に入学した年、黛敏郎が16歳の頃に当たる。作品番号に0を付されたことから、本格的な作曲を開始する準備として位置づけられたと考えられる。作曲時期や改訂履歴をノートに記録していることから、真面目に作曲に向かっている姿勢が伺える。


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