楽譜を1曲から購入!タブレットとの共有も簡単!
ユーザー登録ログイン
Images?image=site l
黛敏郎:0系新幹線放送チャイム (昭和43年/1968年)
全4ページ
Sample image?page id=1
Sample image?page id=2
Sample image?page id=3
Sample image?page id=4
演奏動画はこちら

協力・企画:黛家、スリーシェルズ
復元・採譜:今堀拓也
序文:西耕一、萩生哲郎
* * *
0系新幹線のチャイムについて
 列車の車内放送前のオルゴールは「これから放送が始まります」というお知らせと、「旅情を慰めよう」というサービスからはじまりました。1958年から「ブラームスの子守唄」が使われるようになり、1960年からは「鉄道唱歌」が使われるようになりました。その流れを受けて1964年10月に東京駅-新大阪駅の間で開業した東海道新幹線でも「鉄道唱歌」が使われていたのですが、時速200キロの超特急に相応しいのだろうか?という意見や、「鉄道唱歌」そのものを短く編曲しているため後半が原曲と違う、という意見もあり、新たなチャイム音楽を依頼することになったようです。

 白羽の矢が立ったのは、1964年の東京オリンピックの開会式・閉会式で再生された電子音楽「オリンピックの鐘(オリンピック・カンパノロジー)」で好評を博し、世界的な知名度を誇る黛敏郎。「新幹線のスピード感と近代性を表現した」2曲が作られ、そこから1曲が選ばれ、使われるようになりました。その運用は1968年9月からでしたが、使用頻度は東京-新大阪間で「ひかり」7回、「こだま」2回だけでした。当初は気づかない人も多かったようですが、次第に知る人も増えて、乗客からの反応も国鉄に寄せられるようになりました。様々な意見があったようで、それを受けた国鉄が、当時のポピュラー音楽界の大御所であった浜口庫之助に意見を求めたという場面もありました。その感想は「時代の先端を行く音楽で、一般人には理解しにくいでしょう」。国鉄としては「音楽は趣味の要素が強いので人によって感じ方が違う」などと新聞などを巻き込んだ議論にもつながったようです。その結果、この斬新な新幹線チャイムは1970年の大阪万博頃まで使われましたが、残念ながらその後は廃止されてしまいました。

 当時、車内で使われた「オルゴール」は現在のオークションでは数十万の値段もつくほどの人気です。なかでも新幹線の圧倒的な存在感と近代的なイメージ、憧れに結びついた黛敏郎によるチャイムは特に貴重で探しているファンも多いようです。
西耕一


Only available in Japan